校歌
校歌誕生の背景
東京女子医科大学の校歌は、1920(大正9)年、東京女子医学専門学校時代に制定されました。1920年は東京女子医学専門学校が文部大臣から指定学校の認可を受けた年で、学校創立20年に当たります。当時は指定学校に認可された医学専門学校を卒業すると、医術開業試験を受験しなくても無試験で医師になることができたため、指定学校認可は学校にとって節目となる非常に喜ばしい出来事でした。
この時、最上級生から校歌を作詞する案が出て全校生徒より歌詞を募集しました。佳作となった作品を歌人の与謝野鉄幹に校正してもらったものが現在も歌い継がれている本学の校歌です。原作者の生徒はついに名乗り出ることはありませんでした。作曲は山田耕筰に依頼。当時は学校にピアノがなかったため、近隣の邸宅のピアノを借りて山田耕筰から校歌の指導を受け、1920年に帝国ホテルで開催された指定記念祝賀会兼創立二十周年記念祝賀会で校歌が披露されました。
この時、最上級生から校歌を作詞する案が出て全校生徒より歌詞を募集しました。佳作となった作品を歌人の与謝野鉄幹に校正してもらったものが現在も歌い継がれている本学の校歌です。原作者の生徒はついに名乗り出ることはありませんでした。作曲は山田耕筰に依頼。当時は学校にピアノがなかったため、近隣の邸宅のピアノを借りて山田耕筰から校歌の指導を受け、1920年に帝国ホテルで開催された指定記念祝賀会兼創立二十周年記念祝賀会で校歌が披露されました。