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Last update: 2010-04-20
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創立者の歩み

1871(明治4) 遠江国城東群上土方村(現、静岡県小笠郡大東町上土方)に漢方医鷲山養斎、みせの次女として生まれる。
明治23年5月医術開業試験前期試験合格
19歳の吉岡彌生(右端)
1889(明治22) 上京し、済生学舎に入学。この年「女医学生懇談会」をつくる。
1890(明治23) 内務省医術開業試験前試験に合格。
1892(明治25) 医術開業試験後期試験に合格。
1895(明治28) 吉岡荒太と結婚。  
1897(明治30) 飯田町4丁目9番地に東京至誠医院を開院。
明治41年第1回卒業生井出茂代を囲む彌生と荒太
1900(明治33) 東京至誠医院の一室に東京女医学校を創立。
1907(明治40) 東京女医学校校長
1920(大正9) 日本女医会会長
1921(大正10) 文部省生活改善講習会講師となる。ドイツよりプロイセン赤十字第二等第三等章を贈呈される。
診療・研究にと充実した日々を送る50代
1924(大正13) 勲六等瑞宝章を授与される。
1928(昭和3) 第一回汎太平洋婦人会議(於ホノルル)に日本女医会代表として出席。大礼記念章を授与される。
1933(昭和8) 文部省社会教育調査委員会委員に就任。教育功労賞を受賞。
1935(昭和10) 日本赤十字社特別委員となり、有功章を受賞。
1937(昭和12) 女性として初めて内閣の教育審議会委員となる。
57歳(1928年)洋装の吉岡彌生
1939(昭和14) 厚生省・文部省の嘱託として、欧米諸国の母子保護事業・医学教育を視察。
1940(昭和15) 勲五等瑞宝章を授与される。  
1946(昭和21) 日本医師会参与。厚生省顧問に就任。
昭和3年10月 第一回汎太平洋婦人会議を終え
横浜港船上に学生の出迎えをうける
1952(昭和27) 東京女子医科大学学頭に就任。
1955(昭和30) 勲四等宝冠章を授与される。
1959(昭和34) 5月22日午後10時55分、世田谷区羽根木町の自宅で逝去(享年88)。正五位勲二等瑞宝章を追贈される。
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