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2020年07月06日大動脈疾患治療で国内トップクラスの実績
東京女子医科大学病院の心臓血管外科は、虚血性心疾患をはじめ弁膜症、大動脈疾患、先天性心疾患、さらに重症心不全に至るまで、あらゆる心疾患の治療に対応できる日本有数の施設である。これらの心疾患のうち、今号では虚血性心疾患、弁膜症、大動脈疾患の最先端治療にスポットを当てる。

心臓を動かしながら行う先進の冠動脈バイパス術

 女子医大病院中央手術室の19番手術室。心臓血管外科の冠動脈バイパス術はここで行われる。
 冠動脈は心臓のまわりに通っている3本の血管で、収縮・拡張を繰り返す心臓の筋肉(心筋)に血液を送り込む重要な役割を担っている。この冠動脈が、動脈硬化などによって狭くなったり閉塞したりして心筋に血液が行かなくなるのが、虚血性心疾患である。血流が悪化して心筋に必要な血液が不足し、胸に痛みが生じるのが狭心症。血管内に血栓ができ、心筋に血液が送り込まれなくなる状態が心筋梗塞である。
 こうした虚血性心疾患の治療法の一つが、開胸手術による冠動脈バイパス術だ。患者さん自身の血管の一部(グラフト)を採取し、それを冠動脈の狭窄・閉塞部を迂回して大動脈と冠動脈につなげ、新たな血行路を確保するという術式である。
 冠動脈バイパス術は、人工心肺装置を使用し心臓の拍動を止めて行う方法と、人工心肺装置を用いず(オフポンプ)心臓を拍動させたまま行う方法がある。オフポンプの場合は患者さんへの負担が少なく、術後の回復も早いというメリットがある。女子医大病院では年間150~160件ペースで冠動脈バイパス術を行っているが、その約98%がオフポンプ方式である。日本ではオフポンプ方式が主流となりつつあり、その割合が約7割を占めているが、女子医大病院はこれをはるかに上回る割合となっているのである。
 心臓血管外科を率いる新浪博士教授(女子医大病院副病院長)は、こうしたオフポンプ冠動脈バイパス術の第一人者として知られる。これまでざっと3,000件もの心臓手術に関わってきたが、このうち半分が冠動脈バイパス術だという。
 去る5月半ばにオフポンプ冠動脈バイパス術が行われた19番手術室をのぞいてみた。バイパス術を受ける患者さんは平均75歳くらいだが、この日の患者さんは20代後半の男性である。午前11時、新浪教授が手術室に入室し執刀開始。まず胸の真ん中にメスを入れ、皮膚を切開。次に胸骨を切開し、開胸器で胸骨を左右に広げる。さらに心臓を包んでいる心膜を切り開く。こうした胸骨正中切開というアプローチを経て心臓にたどり着く。
 いよいよ冠動脈にグラフトをつなぐバイパス術のクライマックスだ。新浪教授は、直径わずか2㎜ほどの血管同士を正確かつ丁寧に縫い合わせていく。まさに“神業”である。しかも、縫合部の動きを抑えるスタビライザーという器具があるとはいえ、心臓は動いたままである。その手術の技に外科医の真骨頂を見る思いがした。
 2本のバイパス術が終わり、3本目の冠動脈へのバイパス術が始まったのが午後2時過ぎ。グラフトを心臓の裏側にある血管につなげるため、より難易度が増すが、新浪教授は淡々と縫合していく。その姿からは、技量の確かさと自信のほどがひしひしと伝わってきた。

年間300件もの手術をこなす心臓外科のプロフェッショナル
 
2017年7月に埼玉医科大学国際医療センターから女子医大へ赴任してきた新浪教授は、もともと女子医大との縁が深い。1987年に群馬大学医学部を卒業した彼は、東京女子医科大学大学院に進み、心臓血管外科の前身である東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所(心研)に入局した。手先が器用だったことから外科医を志し、当時、心臓外科のメッカであった心研の門を叩いたのである。
 大学院時代の1989年から2年間、アメリカ・ミシガン州のウェイン州立大学に留学。さらに1995年から3年間、オーストラリアに留学し、メルボルンのアルフレッド病院とシドニーのロイヤルノースショア病院で臨床経験を積んだ。
 ロイヤルノースショア病院では、2年間に執刀医として200件あまりの心臓手術を手がけた。その約8割が冠動脈バイパス術だったという。このときの経験が、心臓外科医としての大きな自信につながっていったのはいうまでもない。
 1998年に帰国して心研に戻った彼は、ほどなく女子医大附属第二病院(現・東医療センター)に転じ、オフポンプでの冠動脈バイパス術に取り組むようになった。そして2004年、大きな転機が訪れる。順天堂大学の天野篤氏(現・順天堂大学医学部心臓血管外科教授、同附属順天堂医院院長)から、「僕の隣の手術室を提供するから一緒にやらないか」と声をかけられたのである。
 天野氏はのちの2012年2月、今上天皇にオフポンプ冠動脈バイパス術を行い、“天皇陛下の執刀医”として一躍、時の人となったのは周知のとおり。その天野氏のもとで3年間、腕を磨くこととなった。「天野先生は、プラスアルファーの処置にチャレンジすることの大切さを強調されていました。そうしないとトップにはなれないと。いかに患者さんに付加価値をつけてあげられるかを考えながら手術をするようになりました」と、新浪教授は述懐する。
 その後、彼は2007年に埼玉医科大学国際医療センター・心臓病センター心臓血管外科教授に就任。2010年に心臓移植実施施設としての認可を取得し、2015年度には大学病院トップとなる848件の心臓手術を実施するまでに躍進させた。
 そして2017年、13年ぶりに古巣の女子医大に舞い戻った。「心臓外科医としての今の自分があるのは、女子医大のおかげです。その恩義に報いるために、ここに戻ってきました。かつて女子医大の心臓外科は“東日本の雄”として輝いていました。その輝きを取り戻すのが僕の使命だと心得ています」“手術は数こそが質”をモットーとする新浪教授は、今でも年間300件もの手術をこなす。彼が率いる心臓血管外科は、再び輝きを放ち始めている。


患者さんの負担を軽減する最新の治療法を推進
 女子医大病院西病棟Bの2階手術室には、手術台とX線血管撮影装置を組み合わせ、人工心肺装置も備えたハイブリッド手術室がある。心臓弁膜症の一つである大動脈弁狭窄症の治療法である経カテーテル大動脈弁置換術(TAVI)は、このハイブリッド手術室で行われる。
 重度の大動脈弁狭窄症の治療は、これまで開胸して一時的に心臓を止め、大動脈弁を人工弁に換えるのが一般的だった。これに対しTAVIは、カテーテルを用いて人工弁を心臓に植え込む新しい治療法である。開胸せず心臓を止めることがないうえ、治療時間も短いため患者さんの負担を大きく軽減できるのが特長だ。
 TAVIを担当し、その指導医でもある道本智医師は、2017年9月に埼玉医科大学国際医療センターから女子医大病院に赴任してきた。2015年11月からTAVIを開始した女子医大病院は、それまで実施件数が月1~2件だったが、「今では月7~8件、年間では100件前後のペースで実施しており、都内の病院でトップクラスに位置する実績を残しつつあります」と、道本医師は胸を張る。
 TAVIは現在、2種類の弁が保険適用となっているが、2017年3月から3つ目の弁が治験中であり、登録されている18例のうち13例が道本医師の手によるものである。道本医師はまさに、日本におけるTAVIのパイオニア的存在なのである。
 左心房と左心室の間にある僧帽弁の機能が悪化し、血液が逆流してしまうのが僧帽弁閉鎖不全症である。その治療法として期待されていたマイトラクリップというカテーテル治療が、2018年4月から12施設でスタートした。治験6施設の一つであった女子医大病院も、現在週1件ペースでこの治療を行っている。
 「マイトラクリップは低侵襲の治療法で、TAVIと同様、患者さんの体のダメージが少ないため、開胸手術が難しかった患者さんへの治療も可能となりました。循環器内科とハートチームを組みながら、患者さんの治療に当たっています」(道本医師)とのことだ。

世界最高水準の大動脈瘤治療 ステントグラフト内挿術
 去る5月8日、女子医大病院心臓血管外科の東隆・横井良彦両医師は、八千代医療センターで胸部大動脈瘤の破裂を防ぐためのステントグラフト内挿術という治療に臨んだ。ステントグラフトとは、バネ状の金属を取り付けた人工血管のこと。これをカテーテルで動脈瘤の部分まで挿入し、血管内で広げて動脈瘤の内側に固定させる。これによって瘤に流れる血液を遮断し、破裂を防ぐ。体を大きく切る必要のない低侵襲の治療法である。
 女子医大病院は、2007年にこのステントグラフト治療の認定施設第1号となった。東医師はその先駆者、横井医師は唯一の国産ステントグラフト「Najuta(ナユタ)」の開発主導者として名を馳せている。そして2人は、女子医大病院だけでなく八千代医療センターや東医療センターをはじめとする多くの関連施設でステントグラフト治療を行い、その普及に努めている。
 胸部大動脈瘤用のステントグラフトにはいくつか種類があるが、国産の「ナユタ」は患者さんの血管形状や脳につながる3本の血管、瘤の位置などに合わせてきめ細かく調整できるカスタムメイド方式を採用している。このため、患者さん一人ひとりにぴったりフィットするステントグラフトを提供することができる。
横井医師は手術当日、約2時間かけてその準備を行う。「それによって患者さんのQOL(生活の質)が向上すると思えば、全然苦になりません」とさらり。職人技ともいえるその高度な技術は、海外から“ジャパニーズ・マジック”と評されているほどだ。
 ステントグラフトの指導医でもある東医師は、「ナユタによるステントグラフト内挿術は、世界最高水準の治療だと自負しています」と強調。そして、「僕はナユタを含めて年間250件以上のステントグラフト治療を行ってきましたが、今年度は過去最高の300件を突破するかもしれません」と締めくくってくれた。
















 
「Sincere(シンシア)」10号(2018年7月発行)