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2015年03月12日女子医発世界初の「細胞シート」
女子医発・世界初の「細胞シート」が再生医療の新たな地平を切り開く

再生医療で世界を牽引する日本。体細胞を培養してつくる「細胞シート」は、心臓病、食道がん、角膜損傷などで著しい治療効果が期待できると、いま世界の注目を集めている。現在進行形で進化し続ける細胞シートの研究拠点が、東京女子医科大学河田町キャンパス内にある先端生命医科学研究所である。

<拡張型心筋症患者が細胞シートによって奇跡の生還!>
 心臓病の代表的な難病といわれる心筋症。いまだ根本的な治療法が確立されておらず、重篤な場合、残された道は心臓移植しかないとされる。
大阪府のAさん(50代・男性)は8年前、持病の心臓病が悪化し、地域の病院に緊急入院した。拡張型心筋症と診断され、一時は意識不明に陥るほど病状が悪化した。大阪大学医学部附属病院に転院したが、冷蔵庫大の補助人工心臓をつけ、病院のベッドで心臓移植の機会を待つ日々が続いた。だが、1年経ってもドナー(臓器提供者)は現れなかった。
  Aさんを救ったのは、女子医大が基盤技術を開発し、大阪大病院と共同で取り組んできた細胞シートによる臨床研究だった。Aさんが受けた治療は、自身の太ももから約10グラムの筋肉を採取し、そこから筋芽細胞を取り出して約4cm四方・厚さ0.1mmに培養した細胞シートを複数枚重ね、心臓の表面数か所に張り付けるという世界初の手術だった。移植された細胞シートは心臓の筋肉と一体化して、血液を押し出すポンプ機能を徐々に高めていった。4か月後には補助の人工心臓を外せるまでに回復し、7か月後には退院が許された。その後は愛犬の散歩を日課とするなど、奇跡的ともいえる元気な日常生活を送っている。

  


<再生医療の難問をクリアする細胞シート>
これまで臓器の機能が失われると、臓器移植を受けるか人工臓器をつけるか、極めて少ない選択肢しか残されていなかった。だが、臓器移植はドナーの絶対数が不足し、人工臓器も一時的な補助手段にすぎないのが実情だ。それに対し、近年注目を集めている再生医療は、医学や理工学、細胞生物学などの知識と技術を融合し、組織や臓器を再生しようという新しい試みである。
再生医療には、治療に用いる細胞がまず必要になる。それには万能細胞(ES細胞、iPS細胞)を用いる方法や、患者さんなどの体細胞を用いる方法がある。代表的な万能細胞であるES細胞(胚性幹細胞)なら、あらゆる組織や臓器への分化が可能だが、受精卵を用いるため、ヒトになり得る細胞を恣意的に操作してよいのかという生命倫理の問題が絡んでくる。
一方、iPS細胞(人工多能性幹細胞)は体細胞からつくる万能細胞なので倫理問題がクリアでき、再生医療への利用が可能だ。ただ、そのままでの利用は難しく、もう一度体細胞に戻す必要がある。いまは医療に用いる実用化技術の開発に取り組んでいる段階だ。
これに対し、患者さんなどの体細胞からつくる細胞シートは、倫理問題に抵触しないのはもちろん、移植後に拒否反応を起こす心配も極めて少ない。加えて、将来的にiPS細胞の応用技術が確立されれば、iPS細胞を原料とした細胞シートの大量生産が可能となり、組織や臓器づくりへの道が開ける。それだけに、細胞シートへの期待は高まるばかりだ。

  
細胞シートの第一人者・岡野光夫教授


<広がる大学間連携で難病治療の研究に拍車がかかる>
 細胞をシート状に培養する「細胞シート工学」は、女子医大の岡野光夫教授・副学長が1990(平成2)年に開発した温度応答性培養皿を基盤とする日本発・世界初の再生医療技術である。岡野教授は、人体の組織や臓器がシート状の細胞、つまり細胞シートの土台でできていることに着目。患者の細胞を培養して細胞シートをつくり、単層または複数枚重ねて体内に移植し、組織や臓器を再生するという再生医療の新しい概念と技術基盤を確立した。
 細胞シートによる組織・臓器再生の仕組みは、欠損した細胞組織を補填する、あるいは細胞シートから放出されるタンパク質の一種「サイトカイン」が毛細血管を育成し、患部に栄養分を送り込み、組織や臓器を修復する、というものである。すでに女子医大と女子医大病院のチームが心筋症、食道がん、歯根膜治療で臨床研究の成果を積み重ねており、近く肺気腫の臨床研究に入る予定である。
加えて、女子医大は大阪大病院、東北大病院、東海大病院、長崎大病院、フランスのリヨン国立病院、ノーベル医学・生理学賞の選考委員会が設置されているスウェーデンのカロリンスカ研究所、アメリカのユタ大学などと共同で、前記のほか角膜、耳、軟骨、肺、肝臓、膵臓など多様な臓器・器官にかかわる疾病での臨床研究を進めている。
「私たちの願いは世界から難病をなくすことです。そのためには、革新的な治療法ほど情報公開すべきです。私たちは、これからも国内外を問わず細胞シート工学の技術移転を積極的に行っていきます。そして、世界の研究者たちと切磋琢磨することで、細胞シート工学を再生医療のスタンダードにしていきます」と岡野教授は力強く語る。




<医理工融合・産学共同で再生医療の実用化をめざす>
 「細胞シート工学」の研究拠点である先端生命医科学研究所は、女子医大と早稲田大学との共同施設として2008(平成20)年に設立された先端生命医科学センター「TWIns(ツインズ)」内にある。同研究所では、医学研究者や臨床医をはじめ、理工学、生化学、企業の研究者などが参加して医理工融合・産学共同による「生命医工学」の研究・開発に邁進している。
 いまや最先端の医学として注目を集める生命医工学だが、女子医大がこの分野に着目したのは45年も前の1969(昭和44)年のこと。医療の技術革新をめざす「医療技術研究施設」としてスタートした。2001(平成13)年には「先端生命医科学研究所」として生まれ変わり、細胞シート工学の生みの親である岡野教授が所長に就任。科学領域や産業界との連携を強め、医療の最先端を歩み続けてきた。
 生命医工学の目的の一つに、先端医療の大衆化、すなわち限られた人しか受けられなかった先端医療を、誰もが受けられるようにすることがある。例えば、名人といわれる医師しか執刀できない難手術、高価すぎて尻込みしてしまう特殊医療、ドナー不足の移植医療などがそれに当たる。
 女子医大が推進する細胞シート工学は、まさにその解決法の一つといえる。誰もが受けられる医療を推進するには、臨床医の誰もが日常的に行える医療であり、患者さんの誰もが気兼ねなく受けられる医療でなければならない。そのためには、これまでとは違った視点から医療を見直す必要があった。
 「TWIns」の3階には、女子医大が進める生命医工学に協賛する企業が複数社入居している。細胞シート工学を普及するには、細胞の自動培養装置や各種の器具、試薬などの開発が欠かせない。そうした体制が整ってはじめて細胞シートの大量生産が可能になる。医理工融合・産学共同は、先端医療の大衆化、すなわち誰もが受けられる先端医療を実現する強力な推進力なのである。


細胞培養自動化システム「組織ファクトリー」(プロトタイプ)


<細胞シート生産の自動化を実現し再生臓器づくりも視野に>
 再生医療の発展と普及をめざすには、細胞シートの大量生産がキーポイントとなる。この問題をクリアすべく、先端生命医科学研究所では他大学や産業界と連携し、細胞培養自動化システム「組織ファクトリー」の開発と、細胞シートから組織や臓器をつくりだす技術「臓器ファクトリー」の確立に全力で取り組んでいる。
 「組織ファクトリー」に関しては、すでに自動化システムの試作機が完成している。全工程のクリーンルーム化と全自動化を実現するとともに、製造ラインを工程ごとにユニット化し、実験内容によりユニット構成を組み換えるモジュール方式を採用した。
 「細胞シートの生産は、手作業だと年間10~20人分が限度ですが、自動化システムなら30~80人分が可能です。また、手作業によるバラツキがなくなり、製品の安定化と高品質化が実現できるほか、夜間の稼働も可能になり、量産とコストダウンが両立できるようになりました」と、実験を指導する清水達也教授は語る。
 一方、「臓器ファクトリー」では、iPS細胞を用いた幹細胞の大量培養技術をはじめ、幹細胞から目的細胞を選別する技術、血管付与技術と積層化・肉厚化技術などの開発を進めている。こうした技術の開発により、ドナー臓器に代わる再生臓器が医療現場に登場する日もそう遠くはないだろう。

     
先端生命医科学センター(Twins)内の組織・臓器作製室    安倍首相も「組織ファクトリー」を視察


<安倍首相も先端生命医科学研究所を視察>
 安倍晋三首相は内閣発足3か月後の昨年3月、先端生命医科学研究所を訪れ、細胞培養自動化システム「組織ファクトリー」などを視察した。安倍内閣の経済政策「アベノミクス」では、医療を成長産業と位置づけ、日本を支える産業の柱の一つとして育成していく方針を打ち出している。
 中でも再生医療は、国際競争力のある有望分野とされているだけに、安倍首相は岡野教授の説明に熱心に耳を傾けていた。このことからも、細胞シートによる再生医療への期待の大きさがうかがえよう。





「広報誌 sincere1号より」