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2015年12月14日関節リウマチ治療の最先端リウマチセンター
回収率98%超の長期患者調査で 日本の関節リウマチ治療を牽引 

10年前の状況を考えると、まさに奇跡といってよい。東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風 センターに通う関節リウマチ患者さんの寛解率が、50%を超えたのだ。寛解とは、完治ではないが 症状がほぼ完全に抑えられ、病気が進行しない状態に達したことをいう。2000年にはわずか8% だった寛解率が、2012年に50%超へ。女子医大のリウマチセンターは、日本の関節リウマチ治療の 最先端をひた走る。


■患者さんの50%超が病状が進行しない状態に
 関節リウマチは自己免疫疾患の一つで、 自分の体を攻撃する自己抗体が原因で発症する。自己抗体が関節を攻撃し、滑膜に炎症や腫脹(はれ)を引き起こす。 放置すると2年ほどで関節の破壊や変形 に至りかねない。また、合併症(肺や腎臓などの臓器疾患)の発症リスクも高くなる。国内の患者数は70~80万人といわれるが、今日に至るまで根治的な治療法は確立されていない。それ故に、「最も身近な難病」といわれている。 
 だが、この十数年で治療法が大きく進化した。画期的な治療薬が相次いで登場し、患者さんの希望の灯であった“寛解”が夢から現実になりつつある。
 女子医大附属膠原病リウマチ痛風セ ンターは、1日の患者数が約450人、月間1万1,000人が通院する日本最大、世界でも最大級のリウマチ性疾患専門施設である。1982年の開設以来、常に最新の医療を提供し、日本のリウマチ研究・治療をリードしてきた。
 現在の所長は5代目の山中寿教授。 山中教授は2012年に、日本リウマチ学会・学会賞を受賞した。同センターが関節リ ウマチ患者さんを対象に2000年から取り組んできた長期観察研究「IORRA(イオラ)」の実績が評価されたことによる。寛解率50%突破は、IORRA研究の成果にほかならない。  
 
 

■新しい治療法に道を開いた長期観察研究「IORRA」
 IORRA (Institute of Rheumatology, RheumatoidArthritis)は、膠原病リウマチ痛風センターに通院する約6,000人の関節リウマチ患者さんを対象に、年2 回実施する大規模調査である。30ページもの調査用紙を患者さんに配付し、記入して送り返してもらう。そう聞くと、患者さんに負担を強いる調査と思われがちだが、さにあらず。調査開始以来14年間、回収率は毎回98%超に達している。そこには数々の工夫や仕掛けがあるのだが、 まずは研究の目的を山中教授にたずねてみよう。
  「関節リウマチの治療は、患者さんの 実態を正しく把握することが極めて重要 です。IORRA以前の伝統的な薬剤投与に関する臨床研究はすべてカルテベ ースで、医師の処方をもとに薬剤の有 効性や安全性が評価されていました。ところが痛み止め薬の場合、患者さんは処方量の約4割しか使用していないこと がIORRAの調査でわかりました。そこでIORRAでは、患者さんが実際に使用した量を自己申告してもらい、その数値 をもとに薬剤の効果とリスクを調べることにしたのです。そうして得られた正確な 情報をもとに、新しい治療法を研究しようというのがIORRAの目的です」
 IORRAがスタートした2000年当時、関節リウマチの治療法は大きな転換点を迎えていた。1999年に抗リウマチ薬・メト トレキサートが、2003年には生物学的製 剤が使用承認され、それまでの抗炎症剤などで痛みを抑える対症療法から、痛みや腫れを起こす物質を直接的に抑 える治療へと進化する節目にあたっていた。新しい薬剤による治療で患者さんの症状がどう変わるのか。IORRA研究はその克明な記録であり、日本における医療技術進歩のドキュメントとなったのである。   
 

■患者・医師・製薬企業の“三方よし”がIOORAの原点
 ところで、近江商人の格言に“三方よ し”というのがある。IORRAの成功はこの格言にあったと山中教授は語る。
  「私は滋賀県出身で、近江商人の“売 り手よし、買い手よし、世間よし”という 三方よしが身近な格言でした。近江商人は、売り手と買い手だけでなく、第三者の利益も大切にすることで成功を収めました。私はIORRAに協力してくれる患者さん、医師、製薬企業の三者それぞれにメリットを提供し、Win-Win-Winの 関係を築こうと考えたのです」
 では、データの提供者である患者さんのメリットとは何か。女子医大での治療歴7年というH.A.さん(50代女性)は、IORRAを次のように評価している。
  「私は2014年4月に寛解を迎えましたが、それは毎回フィードバックされる各種IORRA情報のおかげです。調査に参加すると現在の病状、炎症の程度や肝臓・腎臓の機能、疾患活動性などの個人レポートが返却され、自分の病状を客観的に判断できます。また、配付される 『IORRAニュース』からは関節リウマチ の最新情報、例えば薬剤の知識などが得られ、自分の受けている治療への理解が深まります。いまはネット社会で情報 があふれていますが、どの情報を信じてよいか分かりません。その点、IORRAの情報は自分も参加しているので信頼でき、受けている治療に納得がいきます。調査用紙も記入しやすいように考えられていて、15~20分かかってもそれほど苦にはなりません」
 回収率98%の秘訣は、患者さんへのきめ細かな心遣いにあるようだ。   
 

■IORRA研究の成果が数多くの学術論文に結実
 次に医師たちのメリットだが、そこには山中教授の熱い思いが込められていた。 「私たちの医局には、関節リウマチに罹患している医師も在籍しています。指の関節が変形すると実験器具の取り扱いが難しくなりますから、そうした医師には、関節リウマチの観察データを蓄積してい くことによって新しい切り口の学術論文を書ける環境を提供したいと考えたのです。もちろん、IORRA研究にかかわる医師 たちにはデータを自由に活用できる権利を与える。その結果、IORRA研究をベ ースとした英文論文は94編(2014年10月1日現在)、学会発表は優に300件以上を数えるまでになりました」
 加えて、各医師がどの薬剤をどれだ け処方し、それによって患者さんの症状 がどれだけ改善したかといった実績が医師にフィードバックされる。「外来ブースで 各医師は英知を傾けて診断や処方にあたっています。自分の診断は正しいと信じつつも、絶えず自問自答を繰り返す孤独な仕事です。医師用に開示された IORRAデータで他の医師の診療と比較す ることにより、自分の診療レベルが客観 的に把握でき、成績の良い医師のノウ ハウを学ぶこともできます」と山中教授。 なるほど、IORRAは医師にとってのメリットがそのまま診療レベルの向上につながるよう設計されていたのだ。   

■製薬企業を対象に年2回「IORRA報告会」を開催
 IORRA研究を陰で支えている製薬企 業向けには年2回、報告会を開いて解 析結果を提供しているが、彼らは具体 的にどのようなメリットを享受しているのだ ろうか。IORRAの発足当初から今日までを知るユーシービージャパンの免疫炎 症メディカルチームヘッド、金澤辰男氏にうかがった。
 「IORRA報告会は、関節リウマチ医療のトレンドを知るいい機会となっています。特に副作用情報は患者さんの実態が記 録されており、我々にとっても貴重なデータです。新薬の治験で得られるデータは特定の患者さんを対象とした数値ですが、市場投入後はさまざまな合併症を持った患者さんにも投与されます。そのときに、どのような症状の患者さんにどのような副作用がどの程度起きる可能性があるのか。それをIORRAのデータから推測することができます。開発中の薬剤の将来予測 ができるというのは、とてもありがたいことです」
 さらに言葉を続けて、「IORRAは女子医大の貴重な財産であると同時に、そのデータを引用した学術論文は日本の関節リウマチ医療にとっての大きな資産でもあります。私たちは公表されたIORRAの論文をエビデンス(科学的根拠)として活用させていただき、日本の医療レベルの向上に寄与したいと考えています」 という。   

■“IBM”をキーワードにさらなる医療の進化をめざす
女子医大リウマチセンターのIORRA ほど完璧な関節リウマチの長期観察 研究は、世界を見渡しても例がない。世界的な評価が高まる中で、山中教授 は今後のIORRAの目標を“IBM”というキーワードに託している。 「臨床医療ではEBM(Evidence Based Medicine:科学的根拠に基づく治療)が常識となっています。エビデンスとされる治療法は海外論文によるものが圧倒的に多く、それらは日本とは人種 や体格、生活習慣、医療環境などが異 なる外国人を対象とした研究結果です。私たちは、実際に自分たちで診療した 患者さんのデータに基づく医療を行いたい。IORRAで得られた患者さんのデータを 分析して臨床医療を最適化する。エビデンスのEをIORRAのIに置きかえ、EBMをIBMへと進化させる。それがこれからの目標です」
 IBMをキーワードに、山中教授はさらなる医療の発展に意欲を燃やしている。