三神美和は1904年、山梨県甲府市に生まれます。当時の山梨県立高等女学校に進学しますが、在学中に父親が亡くなり、「(子どものうち)一人くらいお医者にしたい」という母の言葉を聞いて、東京女子医学専門学校を志します。入学を機に一家は上京。三神は月に一度学内で行われる吉岡彌生の講演を聴き、その薫陶を受けながら猛勉強を続けて1924年に女子医専を卒業しました。同年、母校の附属第一東京至誠病院の内科に入局します。やがて栄養や脂肪が人間の体にどのような影響を及ぼすかに興味を持ち、1929年から医化学教室の助手として転出しました。途中病を得て、療養する期間もありましたが、無事研究の場に戻り、1940年には慶應義塾大学医学部より学位を取得しました。テーマは「不飽和脂肪酸の動物栄養に及ぼす影響について」でした。
再び内科に入局した三神は内科学の教育、診療に広く携わった他にも、女子医専栄養研究所での講義、東京女子厚生専門学校教授等を務め、1945年には東京女子医学専門学校の教授となりました。戦後1947年には本学理事に就任し、以後54年にわたって理事を、その後名誉理事と相談役を務めました。1965年には、本学で吉岡彌生以来初めて女性の病院長に就任。病院長時代には、質の高い看護師養成のためにも尽力し、高等看護学校の初代校長も務めました。
学外にあっては社団法人至誠会第二病院長を務め、1981年には顧問に就任しました。また、1968年から1985年まで社団法人日本女医会会長、1974年から1998年まで同窓会会長を務める等、永く日本女性医師界の牽引役でもありました。大学に尽くし、その発展の原動力となった卒業生の一人です。
図書館では、著作『悔いありてこそ:女医一筋六〇年』、『九十三歳今日を愉しんで生きる:人間現役は生活現役』、『九十八歳いきいき生きる知恵』、『まんさくの花』(歌集)や業績集を所蔵しています。
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