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発見!!女子医大

歴史を刻んだ卒業生history

志田周子(昭和8年卒業/1910年〜1962年)

〜無医村診療にささげた一生〜


志田周子は1910年、山形県西村山郡左沢町(現在の大江町)に生まれました。父は後に小学校校長や大井沢村(現西川町)村長となった地元の名士でした。志田は東京女子医学専門学校を1933年に卒業。2年間本学附属病院の内科で研鑽を積み、入局後日も浅い中で黴毒性肝硬変や縦隔竇肉腫の症例について東京女医学会例会で発表するなど、研究活動にも熱心でした。しかし父の懇願で帰郷し、当時無医村であった大井沢村の診療所に着任します。以後、およそ四半世紀にわたって無医村での地域医療に尽くし、さらには婦人会長や村議、町議として地元に根ざした活動を続けました。

1943年1月号の『日本女医会雑誌』には、志田自身が綴った「無医村医の生活記録」が掲載されています。夜昼なく訪れる往診依頼、寒空の中重篤な脳溢血患者を戸板の上に横たわらせ担いで来る家族、為す術のない動脈硬化の患者に施す瀉血と注射、そして顕微鏡を婦人常会でも備えたいと申し出るまでに向上した女性たちの保健衛生への関心。和歌をよくした志田が綴る名文は、村民に頼りにされた無医村医の姿を鮮明に描き出しています。
志田の医療活動はNHKラジオの特別番組で紹介されたり、山形県知事から表彰されたりするなど高い評価を得ていましたが、病を得て、1962年、51年の短い生涯を終えました。

志田の故郷での活動は、「いしゃ先生」という映画になり、上映された故郷の山形県で好評を博しました。都内では2016年1月9日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町・名演小劇場などで公開されました。



また、史料室では志田の活動記事が掲載された戦前の『日本女医会雑誌』や、小説化された高橋義夫『風吹峠』(文藝春秋 1991年)、あべ美佳『いしゃ先生』(PHP文芸文庫 2015年)を閲覧することができます。





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