本文へスキップ

発見!!女子医大

歴史を刻んだ卒業生history

小川正子(昭和4年卒業/1902年~1943年)

~『小島の春』・ハンセン病患者の救済に尽くした女性医師~


1938年、『小島の春』という本が出版されてベストセラーになりました。

著者は本学の前身東京女子医学専門学校を1929年に卒業した小川正子という女性医師です。
小川は卒後しばらくしてから日本初の国立ハンセン病療養所である長島愛生園(岡山県)に就職して6年程勤務していました。病を得て心ならずも島を離れて療養していた時に、長島愛生園時代の患者検診の旅について綴ったのがこの作品で、出版の2年後には映画化もされました。検診の様子と患者の家族との別れの場面などが格調高い文体で描かれた作品で、歌を良くした小川らしく、「夫と妻が親とその子が生き別る悲しき病世に無からしめ」など多くの短歌が織り込まれています。小川は1943年に郷里の山梨県春日居村で結核のため41年という短い生涯を終えましたが、その慈愛に満ちた行動は今に至るまで多くの人々の胸に刻まれています。

東京女子医学専門学校では、4年生の時に東京のハンセン病療養所多磨全生病院の見学を行っていましたが、この病院見学で後に長島愛生園長となる光田健輔に出会ったことが、小川がハンセン病患者救済の道へ進むきっかけであったと言われています。1930年以降各地に国立療養所が設置されるようになると、療養所で働く医療人の需要が急速に高まった反面、そうした施設へ就職を希望する医師は決して多いとは言えない状況にありました。加えて男性医師が出征して行くという時代の中、小川と同様に多くの本学卒業生たちがハンセン病患者救済において大きな役割を担っていったのです。
現在、日本には14ヶ所のハンセン病療養所があります。およそ1,900名の入所者の平均年齢は83歳となっています。



『小島の春』、『コスモスの花蔭で:らい医療にたずさわった女医達の記録』は図書館に蔵書があり、小川の郷里山梨県笛吹市には笛吹市春日居郷土館・小川正子記念館があります。





ナビゲーション