教室の沿革
- 大学開校時期
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- 1900(明治33)12月5日、麹町区飯田町4丁目9番地(現千代田区飯田橋2丁目)の東京至誠医院内の 一室に東京女医学校が創設されたのが始まりです。
1901年5月、牛込区市谷仲之町22番地へ、1903年3月 牛込区河田町6番地へ移転し、校地を現在地に定める端緒となりました。 - 1912(明治45)年3月東京女子 医学専門学校設置が認可され、翌4月開校しました。
- 1951(昭和26)年、大学制度改革に際し東京女子医科大学となりました。
- 2002(平成15)年、看護学部を加え総合大学として新たなる1歩を踏み出しま した。
- 1900(明治33)12月5日、麹町区飯田町4丁目9番地(現千代田区飯田橋2丁目)の東京至誠医院内の 一室に東京女医学校が創設されたのが始まりです。
- 教室開設年月日
- 1924(大正13)年9月 金子魁一が初代教授として就任しました。
- 設置場所
- 開設当時:東京都牛込区市ヶ谷河田町6番地
現在:新宿区河田町8-1 - 教授・講座主任名
- 岡崎 賢(2017年4月就任)
- 開設以来の同門数
- 約500名
- 現在者数
- 在局医師数 約70名
主たる臨床活動の変遷
整形外科の講座が、本学に開設され、金子魁一が初代教授として就任したのは、1924 (大正13)年のことです。その後、太平洋戦争の始まる1941(昭16)年までの17年間、 教授としての重責を果たし、名誉教授となりました。この間、1935年から竹沢さだめが講師 として、金子教授を補佐しました。1941(昭16)年、二代目教授として九州大学から内田 辰雄を迎えましたが、1943(昭18)年に退任となりました。内田教授辞任の後は、岩崎 てる子が戦中戦後の時代を教室のため奮闘しました。その後、慶應義塾大学名誉教授と なった岩崎寅猪教授が本学の教壇に立ったのもこの苦難の時代でありました。
終戦後、1946(昭21)年から1949(昭24)まで大内正男が教授として就任しました。 その後、森崎直木が講師として、次いで1950(昭25)に教授として就任しました。森崎 教授が最大の目標とした、医育機関としての教室作りも、着々とその成果が上がり、 医専時代はもとより、1951(昭26)年に大学となってからも、本学の卒業生の入局者が 次第に増加してきました。当時の整形外科学会会場で見かける女性はほとんど当教室の 者のみで、その数も少数でした。この間、東京大学、東京医科歯科大学、東北大学、 順天堂大学、岩手医科大学等から男性が入局し、教室内の内容にバラエティーを加えま した。1966(昭41)には、森崎教授を兼任部長として、中央リハビリテーション部が 設立され、山形がその助教授に就任しました。1971(昭46)年から2年間は、東北大学 を定年退官した飯野教授が客員教授として着任しました。1973(昭48)年には白須 助教授が定員外教授に任命され、森崎教授の補佐の任に当たりました。1973(昭48) 3月、森崎教授は定年退職され、名誉教授となりました。
1980(昭55)年1月田川宏が教授・講座主任に就任し、当時治療に難渋していた二次性変形性 股関節症に対して、自らが考案した寛骨臼回転骨切り術(RAO)を積極的に行いました。 この術式は本邦に多い先天性股関節疾患後の二次性変形性股関節症に対する根治的なもの であり、その後適応を拡大しています。その他、各種の股関節疾患、外傷性疾患などにも 精力的に手術治療を取り入れました。人事面では、1983(昭58)年、土方浩美が助教授と して就任しました。1990(平2)年12月に田川教授が急逝後の困難な時期を、当時の土方 助教授、小口講師らが乗り切りました。
1991(平3)年2月に伊藤達雄が教授・講座主任として就任しました。1993(平5)土方は新たに 開設された看護短大の教授に、現在は看護学部と膠原病リウマチ痛風センターの兼任教授に就任しています。 伊藤達雄は各種整形外科疾患のうち最も多い脊椎疾患の外科的治療をメインテーマとしています。自身の考案になる頚椎en-bloc laminoplastyは変形性頚椎症、後縦 靭帯骨化症など応用が広く、これを中心に頚椎疾患、 さらに加藤助教授とともに胸椎・ 腰椎疾患の外科的治療を積極的に行ってきました。とくに膠原病リウマチセンター、 腎センターとともに難治のリウマチ性頚椎症、 破壊性脊椎関節症の治療にも取り組んで好成績をあげてきました。膝関節グループは変形性膝関節症、スポーツ外傷を含め積極的に取り組みました。 加藤助教授を中心とする骨代謝研究、金講師を中心とする人工関節後の骨吸収問題、 山本准教授を中心とする脊髄モニタリングの研究を鋭意行いました。
2007(平19)4月より加藤義治が教授・講座主任として就任し、村田准教授、金谷講師、和田講師らとともに透析脊椎症、骨粗鬆症、変性側弯に関連した脊椎疾患の研究に多くの業績を上げました。また森田、大鶴、宗像による股関節グループ、 伊藤を中心とした膝関節グループ、安井による肩関節グループ、野口による足グループらがそれぞれ多くの業績を上げました。2013年より術中画像装置O-arm【オーアーム】を導入しました。これは手術中にCT画像を撮影する装置で、得られた画像情報 を利用した3Dナビゲーションシステムを備えており、特に変性の強い変性側弯に対するインスツルメンテーションや、正確な操作が要求される頚椎の椎弓根スクリュー挿入に活用されています。また2014年には第39回日本足の外科学会・学術集会、 第63回東日本整形災害外科学会・学術集会、第16回日本骨粗鬆症学会・学術集会を主催し、いずれも盛会裏に終了いたしました。
2017(平29)4月より岡崎賢が教授・講座主任として就任し現在に至ります。
主たる研究活動の変遷
主な主催学会
- 1960(昭和35)
- 第9回東日本臨床整形外科学会 (森崎直木)
- 1967(昭和42)
- 第11回日本リウマチ学会 (森崎直木)
- 1971(昭和46)
- 第20回東日本臨床整形外科学会 (森崎直木)
- 1984(昭和59)
- 第11回日本股関節研究会 (田川宏)
- 1988(昭和63)
- 第16回関東整形災害外科学会 (田川宏)
- 1989(平成元)
- 第19回日本人工関節研究会(田川宏)
- 1990(平成2)
- 第38回日本災害医学会 (田川宏)
- 1991(平成3)
- 第40回東日本臨床整形外科学会 (伊藤達雄)
- 1998(平成10)
- 第37回関東整形災害外科学会 (伊藤達雄)
- 2004(平成16)
- 第33回日本脊椎脊髄病学会 (伊藤達雄)
- 2014(平成26)1
- 第22回日本台湾整形外科シンポジウム (加藤義治)
- 2014(平成26)2
- 第63回東日本整形災害外科学会 (加藤義治)
- 2014(平成26)3
- 第16回日本骨粗鬆症学会 (加藤義治)
- 2014(平成26)4
- 第39回日本足の外科学会 (野口昌彦)
- 2019(令和元)
- 第33回日本靴医学会(野口昌彦)
- 2022(令和4)
- 第2回日本Knee Osteotomy and Joint Preservation研究会(岡崎賢)
- 2023(令和5)
- 第1回日本膝関節学会(岡崎賢)
業績集
- 森崎教授開講十周年記念業績集 1960(昭和35)年
- 森崎教授開講二十五周年記念業績集 1976(昭和51)年
- 森崎直木教授退職記念教室業績集(1979(昭54)年)
- 伊藤達雄教授退職記念教室業績集(2008(平20)年)
- 加藤義治教授退職記念教室業績集(2016(平28)年)
同門会誌
年1回発行
歴代の教授
氏名(生年~没年) | 在任期間 |
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金子 魁一 (1886.2.5~1958.1.9) | 1924年9月~1941年8月 |
内田 辰雄 (1904.10.1~1985.9.11) | 1941年9月~1943年4月 |
大内 正夫 (1908.5.2~2004.10.30) | 1946年4月~1949年6月 |
森崎 直木 (1913.12.03~1995.8.22) | 1950年3月~1979年3月 |
田川 宏 (1928.1.28~1989.12.19) | 1980年1月~1989年12月 |
伊藤 達雄 (1942.1.23~) | 1991年2月~2006年12月 |
加藤 義治 (1950.8.21~) | 2007年4月~2016年3月 |
岡崎 賢(1969.2.12〜) | 2017年4月~現在 |