インタビュー

卒業生

受験生のみなさまへ

吉川孝子

春日部市立医療センター 副院長 / 埼玉県看護管理者会 会長

1982年卒業

このページを開いていただいた関係者の皆さま、そして看護師を目指して当校受験をご検討の皆さま、こんにちは。

 少しだけ、私の学生生活のご紹介をしたいと思います。聞いてくださいね。

 私は、東京女子医科大学附属第二看護専門学校(現:東京女子医科大学看護専門学校)を昭和57年度に9回生として卒業しました。卒業までの2年間は、担任の教員も呆れるほど旅行やアルバイトに明け暮れ、ほとんど勉強せずにいました。そのため、当然のごとく臨床実習や国家試験を控えての、積りに積もった学習不足には苦労しました。

 当時の教務主任だった武藤先生には、何度も呼び出され居残り学習。担任教員には「もう何も言う言葉がない」と言われてもへっちゃらの呑気な学生生活でした。

 しかし、そんな学生でも見捨てずに泊りがけでおこなった皆とのグループ学習は、私のやる気を育んでくれました。
 無事卒業し国家試験に合格した時に、初めて教員や同級生との深い信頼関係と連帯感が、私を大きく変えてくれたことに気づきました。

 その後、東医療センター内科病棟に配属になり、卒業生の諸先輩方には、知識や技術のみならず、患者との関わり方や社会人としての基本的な態度や行動を教えていただきました。

 また、それに答えなくてはと、未熟だった知識を補うように、卒業した当校に毎週のように通い、看護計画等を当時新人教員だった小川先生をはじめ、担任だった金井先生に相談しに伺いました。今考えれば、卒業後も恥ずかしながら学校に頼り切りの毎日…しかし、そんな私をいつも笑顔で迎え入れてくれた学校でもありました。

 20年以上勤務した東京女子医科大学東医療センターを辞めて、初めて東京女子医科大学の理念や教育方針と母校の素晴らしさを痛感しています。その後は、看護学校や大学の教員を経て、今は看護部長として自治体病院の移転等大きな事業に携わるようになりました。たくさん苦労もしましたが、何時も頭から離れないのは「至誠と愛」の精神です。

 一緒に泣き笑い、苦労を共にした同級生とは今でも、毎月のように連絡しあい、相談し、自分の看護観や人生について語り合う良い付き合いをしています。

 そんな良き出会いと学生1人1人の成長を願う看護学校や仲間に、皆様も出会えますように。