ブックタイトルシンシア No.7
- ページ
- 4/24
このページは シンシア No.7 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは シンシア No.7 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
シンシア No.7
至誠人スポーツを通して得た経験を予防医療につなげていきたい東京女子医科大学循環器内科に勤務したあと父のクリニックを継ぎ、杉並区医師会の副会長として地域医療に尽力している稲葉貴子さんは、“アイアンマン”と呼ばれる距離の長いトライアスロンレースにも出場しているアスリートとしても知られる。■父の葬儀のときに医院を継ぐ決心2代続く医家で2人姉妹の長女に生まれた私は、小さい頃から後継ぎにといわれながら育ち、必然的に医学の道に進みました。女子医大を卒業して小児科の医局にいた15歳年上のいとこから、「勉強するにはとてもいい環境」だといわれ、女子医大に進学。そのいとこ(大澤真木子氏)は、2013年まで小児科の主任教授を務めていました。部活はスキー部に属し、冬はもとより夏も山で楽しく合宿生活を送ったことがよき思い出です。2年生のとき、合宿先に「物理の追試を受けるように」との連絡が入り、急いで東京へ帰って試験を受け、また合宿所へ戻るといった苦い経験をしました。物理はいまだに苦手意識がありますね。卒業後は、当時花形だった循環器内科に入局しました。循環器の病気は、重症でも病院の処置が間に合えば助かるケースが多いというのも、入局理由の一つでした。“飛ぶ鳥を落とす勢い”の循環器内科でしたから、結婚して出産後もよく勉強し、いい経験をさせていただきました。入局して11年目の1995(平成7)年12月、父が亡くなりました。地域のたくさんの人たちが霊柩車を見送ってくださるのを目にしたとき、父の医院を継ごうと決心しました。子育てをしながら大学病院で仕事をするのは難しいと悩んでいたときでもあり、林医院へ帰ってくることにしたのです。ここなら仕事と子育てを両立することができるだろうと。■走っていると無心になれる人は病気の陰に隠れて生きているわけではありません。病気やケガ、障害があっても、それがその人のすべてではありません。ですから、その人らしく生きていけるようサポートするのも医師の仕事だと思います。大学病院にいたときは重い病気の患者さんが多かっただけに、患者さんに何かを我慢していただいても救命することが優先でしたが、林医院で地域医療に携わってから、そんな医療の本質が見えてきたのです。ところが、開業医になってから10年の間に、母が亡くなり、愛犬を亡くし、その直後にスタッフの女性をがんで失いました。途方に暮れた私は体調も悪くなり、数々のトライアスロンレース成績認定書が外来診察室の壁面を飾る。稲葉貴子(いなばたかこ)1986年東京女子医科大学医学部卒業後、同大循環器内科に入局。96年林医院に転じ、翌年から院長。2015年から杉並区医師会副会長を務める。日本内科学会認定内科医、日本循環器学会認定専門医。ランナー・トライアスリートとして各種競技に参加するとともに、日本医師ジョガーズ連盟のメンバーとして全国のマラソン大会やトレイルランニングレースの医療救護活動を行っている。主な参加競技大会と成績などは次のとおり。【トライアスロン】2008年から参加し、2009年佐渡国際トライアスロン大会Bタイプ女子年代別3位入賞、2010・20011年佐渡国際トライアスロン大会Aタイプ完走、2011年館山わかしおトライアスロン大会年代別1位、2011~15年アイアンマン・トライアスロン大会5回完走、2014~15年全日本トライアスロン宮古島大会完走。【トレイルランニング】2009年信越五岳100km完走、2010・2011年信越五岳110km完走。【医療支援救護協力大会】東京マラソン・大阪マラソン・神戸マラソン・名古屋ウィメンズマラソン・小布施ミニマラソン、信越五岳トレイルランニングレース110km・武田の杜トレイルランニングレース30kmほか。04 Sincere|No.7-2017