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概要

シンシア No.6

も大事」だと当時の教授にいわれ、順天堂大学へ移籍しました。「追い出されたのかな」と思いましたが、それまでとは違う世界でいろいろな人と接し、自分が“井の中の蛙”であったことを思い知らされました。順天堂大学で9年間過ごしたあと、2011年には放射線医学総合研究所へ再移籍。そして2015年4月に女子医大に戻り、放射線腫瘍学講座の教授に就任しました。恩師の田崎先生も放射線医学総合研究所から女子医大の教授に着任されましたが、私も同じルートで女子医大に迎えられたことは奇遇といえますね。主人のもとへ行きました。スイスには1年間滞在しました。私も核物理研究所で粒子線治療を勉強しましたが、研究所にはいろいろな国の人がいて視野が大きく広がりました。研究所はドイツとの国境近くにあり、住居の窓からライン川が見えるというロケーションで、買い物やガソリンの給油はライン川の向こう側のドイツへ行っていました。ドイツのほうが物価が安かったからです。休日にはフランスやオランダ、イタリアへも出かけ、日本からお客様が来られると、私がクルマを運転していろいろなところを案内しました。スイスでの1年間は、初めての海外生活でもあり、楽しい毎日でした。“井の中の蛙”だったことを思い知る前述したように、私が女子医大の放射線科に入局したのは、田崎先生の講演に感銘を受けたのがきっかけでしたが、主人も放射線科に進み、5学年の夏休みに放射線治療を見学して確信を得たからです。がんを克服するために働きたいという思いを、放射線科なら果たすことができるだろうと。以来17年間、女子医大に在籍しましたが、2002年に「外へ出て勉強すること女子医大のブランド力を高めたい女子医大の放射線医学教室は2009年に放射線腫瘍学講座となり、画像診断・核医学講座が新たに設置されて治療と診断がはっきりと分けられました。1942年に放射線医学教室が開設されて以来、私は6代目の主任であるとともに、女子医大出身の3人目の主任でもあります。現在、医局に在籍しているのは女性のほうが多く、放射線腫瘍学は女性が活躍できる医療領域の一つだといえるでしょう。田崎先生は2代目の主任で、日本放射線腫瘍学会の初代会長でもありました。そして、1989年に第1回学術大会が弥生記念講堂で行われたように、当時の女子医大は放射線腫瘍学で絶大なブランド力を誇っていました。多くの医局員が切磋琢磨していた田崎先生の時代にもう一度、戻せればと願っています。そのために、私は粒子線治療に注目しています。粒子線治療はX線よりさまざまな点で優れていますが、装置が大型でコストがかかるのが大きなネックとなっています。女子医大が主導して放射線治療の歴史を変えるような低コストの粒子線治療装置を開発し、多くのがん患者さんが恩恵を受けられる体制を築きたいと願っています。Sincere|No.6-2016 05