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概要

シンシア No.6

至誠人放射線治療の歴史を変える低コストの粒子線治療装置を開発したい卒業後17年間、東京女子医科大学の放射線科に在籍したあと順天堂大学、放射線医学総合研究所を経て2015年に女子医大に戻り、放射線腫瘍学講座の主任に就任した唐澤教授。歴史を変えるような粒子線治療装置の開発に意欲を燃やしている。唐澤久美子(東京女子医科大学放射線腫瘍学講座教授・医学博士)運命を決定づけた2つの部活動私の母は女子医大の前身である東京女子医学専門学校の最後の卒業生で、卒業後は女子医大の衛生学教室に入局していました。住まいも女子医大の近くでしたので、私は小さい頃、よく女子医大周辺で遊んだものです。中央校舎落成の内覧会にも、母に連れられて出席したのを覚えています。私は高校卒業後、成城大学の経済学部へ進学しました。しかし、経済学は自分に向いていないと思い、母のすすめもあって医学部をめざすことにし、2年後に女子医大に入学しました。ちょっと遠回りをして自分の居場所に戻ってきたという感じです。学生時代はゴルフ部と美術部に所属していましたが、これがその後の私の運命を決定づけることになります。当時、ゴルフ部の顧問は放射線医学教室の田崎瑛生先生(故人)でした。私が3学年のときに先生の退任記念講演があり、それを聴講して深く感銘を受けたのが、放射線科に入局するきっかけとなったのです。一方、美術部は東大医学部の「踏朱会」という美術サークルと一緒に活動していました。そこで主人(唐澤克之氏、現・都立駒込病院放射線診療科部長)と知り合い、5学年のときに婚約し、6学年で結婚しました。婚約したとき、主人は研修医でとても忙しくしていました。結婚は卒業してからと思っていましたが、私も研修医になったらお互いに忙しくて余裕がなくなるだろうと、学生結婚に踏み切ったのです。視野が広がったスイスでの生活ところが、大きな誤算がありました。卒業試験を間近に控えた正月明けに、気持ち悪さに襲われたのです。「お酒を飲みすぎたかな」と思ったのですが、つわりでした。それが重くなってついに入院。点滴を受けて卒試に臨むという散々な目にあいましたが、なんとかクリアしました。次は医師国家試験です。ここで落ちたら学生結婚を批判されると思って必死に頑張り、無事に合格することができました。この年の春に、主人はスイス国立核物理研究所へ留学。私は8月に出産し、1 0月に赤ちゃんとベビーシッターを伴って唐澤久美子(からさわくみこ)1986年東京女子医科大学医学部卒業後、同放射線医学教室に入局。助手、講師を経て、2002年順天堂大学医学部放射線医学講座へ移籍。講師、助教授、先任准教授を務め、2011年に放射線医学総合研究所重粒子医科学センター病院治療課第三治療室長となる。専門はがんの放射線療法。乳がん治療では世界で初めて重粒子線治療を行う。2015年東京女子医科大学放射線腫瘍学講座教授・講座主任に就任。放射線治療専門医、がん治療認定医、乳腺専門医。日本放射線腫瘍学会代議員、日本乳癌学会評議員、医学物理士認定機構理事、日本医学物理学会代議員などを務めている。04 Sincere|No.6-2016