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概要

シンシア 2014.No.3

女子医のある街荒川区西尾久明るく清潔感のある画像診断棟の受付ロビー。東医療センター地域に根ざした“やさしい医療”を実践商店街のイメージイラストになった女子医大ノスタルジックな路面電車、都電荒川線の宮ノ前停留場。そこから南へ延びる一方通行の道に沿って宮前商店街が形成されているが、この通りは“女子医大通り”という名で親しまれている。東京女子医科大学東医療センター(12ページの地図○)へA通じる道だからである。通りの街灯柱の銘板には「女子医大通り」の文字が刻まれ、銘板から垂れ下がっている商店会のフラッグには、病院をイメージしたかわいらしいイラストが描かれている。聴診器を首に掛けた医師の姿は、宮ノ前停留場の真ん前に鎮座している尾久八幡神社の鳥居がモチーフ。東医療センターと尾久八幡神社が、この地域のシンボル的存在であることを物語っている。ちなみに、このイラストは地元の女子高生の手によるものだ。東医療センターが立地している荒川区尾久界隈は、かつて花街だった。東医療センターからほど近い碩運寺という寺が、1914(大正3)年、境内から出たラジウム鉱泉を利用して「寺の湯」という温泉施設を開業。その後、周辺に次々と温泉旅館が出現し、すでに開通していた王子電車(現在の都電荒川線)の効果もあって、料理屋(割烹旅館)、芸妓屋、待合のいわゆる“三業地”として栄えた。昭和初期には芸妓屋の数が59軒を数えたという。あらかわ遊園で行われた開院セレモニー東医療センターは、こうした尾久の歴史とともに歩んできた。1930(昭和5)年、女子医大の創立者・吉岡彌生が学生たちを引き連れ、尾久の花街で働く女性たちなど地域住民の商店街の街灯柱には「女子医大通り」の文字と病院をイメージしたイラストのフラッグが掲げられている。1934(昭和9)年開設当時の尾久病院。尾久病院の開院式は「あらかわ遊園」内で行われた。10 Sincere|No.3-2015