教授あいさつ
耳鼻咽喉科・頭頸部外科学は、難聴、めまい、中耳疾患、顔面神経麻痺を扱います耳科領域、副鼻腔の炎症(副鼻腔炎)や腫瘍、鼻アレルギー、顔面外傷を担当します鼻領域、口腔乾燥や味覚障害をはじめとする舌・口腔・咽頭疾患を扱います咽頭領域、音声障害や嚥下障害を扱います喉頭領域、さらに頭頸部悪性腫瘍を扱います頭頸部領域と、広い範囲の疾患を担当いたします。外科的な側面と内科的な側面をもち、診断から治療まで行います。
当科は、1915年(大正4年)に東京女子医科大学の母体となる東京女子医学専門学校の母体となる東京女子医学専門学校耳鼻科診察室が開設され、以後100年以上の歴史を持っています。特に、岩本彦之亟先生による頭頸部腫瘍の手術、上村卓也先生と石井哲夫先生による耳科領域の研究と手術、吉原俊雄先生による頭頸部領域の研究と手術など輝かしい業績は広く知られています。
私は2018年(平成30年)9月から、第8代の講座主任として就任しました。科の伝統を踏襲しながら、私の専門であります鼻科領域・耳科領域の診療から、口腔乾燥や味覚障害などの咽頭領域の診療、音声障害や嚥下障害などの喉頭領域、頭頸部がんなどの頭頸部領域まで扱うオールラウンドな講座としてさらに発展するよう心掛けてまいります。
東京女子医科大学の建学の精神に「社会に貢献する女性医師の育成」があります。これまで行ってきた教育・研究・臨床を基盤に、研究心を持った耳鼻咽喉科医師を育成したいと考えています。当科の医局員の過半数が女性医師です。ライフイベント中や、その後の復帰がし易いよう心掛け、ロールモデルとなる女性医師が育つように組織構築をしています。
教授・講座主任野中 学
Manabu Nonaka沿革
当教室の母体となる東京女子医専耳鼻科診察室は、1915年(大正4年)に開設されました。当初は外来診療と学生の教育を開設者である1914年卒の菅沼志津子が担当し、講義と手術の際には鉄道病院等から外来講師を招聘しました。
1932年(昭和7年)に、初代主任教授として九州大学出身の海軍少将石原亮を迎えました。
続いて1942年には東京女子医専卒の佐藤イクヨが主任教授となりました。佐藤教授時代の教室の主な研究テーマはジフテリアに関するものでした。予防接種が普及する以前のジフテリアは感染性と致死率が高く恐れられた疾患で、死因の多くは気道閉塞による窒息死だったためです。
1960年には岩本彦之焏(九大)を迎え、頭頸部癌の治療に力を入れるようになりました。手術、特に喉頭全摘が多数行われました。
1975年からは上村卓也(九大)が主任教授となり、内耳・平衡機能領域の研究を進めました。
1982年には石井哲夫(東大)が主任教授となりました。
石井は、中耳手術を主に手掛け、症例数は在任19年間で約1600症例となりました。基礎研究では東京大学工学部、畑村・中尾研究室と共同で医学と工学を融合させた手法で中耳・内耳の物理的特性の評価に取り組み、1993年5月には第94回日本耳鼻咽喉科学会総会にて「物理的特性から見た鼓膜膜迷路の病態」と題して宿題報告を行いました。
2001年(平成13年)には吉原俊雄(千葉大)が7代目の主任教授となりました。
吉原は1989年に当教室に講師として着任後、頭頸部腫瘍の治療と基礎研究を中心に行い、同4年に同助教授となり、2001年4月には石井哲夫教授の後任として主任教授となりました。主任教授就任後は特に唾液腺疾患の基礎研究と臨床に取り組み、2013年5月には第114回日本耳鼻咽喉科学会総会において「唾液腺疾患の病態解明と臨床」と題して宿題報告を行いました。学会活動では、2006年に日本耳鼻咽喉科学会理事に就任し、2006年から2012年および2014年から2016年の計4期を務めました。
2018年から現在は野中学(日本医大)が主任教授をつとめています。
耳科学と鼻科学は野中教授が、頭頸部腫瘍は令和に着任した中溝宗永准教授が中核となって診療・研究・教育に取り組んでいます。