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2021年03月10日研究成果神経生理学分野
脳が完成するまでに「生き残る」回路と「刈り込まれる」回路との違いを解明

学校法人 東京女子医科大学
 
Point
○ 脳は生まれた時点では未成熟で、完成するまでの過程でシナプス*1の選別と刈り込みが行われます。そこで、実際の選別が起こる前の段階で、将来生き残るシナプスと刈り込まれるシナプスがどのように異なるのかを調べました。
○ 同じ神経細胞にシナプスを形成していても、将来生き残るシナプスは選別前から徐々に強くなるのに対し、将来刈り込まれるシナプスは未熟なままであることを突き止めました。将来生き残るシナプスの発達を制限しても、その代わりに刈り込まれるシナプスが発達するようになるわけではないことが分かりました。
○ 今回の発見はシナプスの選別の根本的理解に迫るもので、脳の発達過程や精神神経疾患の理解へとつながることが期待されます。

Ⅰ 研究の背景と経緯
 我々の脳機能は、シナプスと呼ばれる繋ぎ目を介して神経細胞同士が情報をやり取りすることによって成り立っています。神経細胞同士の配線(神経回路)は生後初期段階では未完成であり、発達に伴って徐々に完成していきます。この過程においてシナプスはまず過剰に創生され、その後の生育環境や経験に応じて必要なシナプスと不要なシナプスに選別されます。必要なシナプスが選別されて生き残り、不要なシナプスが刈り込まれることによって脳は精密な神経回路として成熟します。このシナプスの選別と刈り込みがうまくいかないと脳の情報処理に不具合が生じ、自閉症や統合失調症などにもつながると考えられています。ゆえに、神経回路が完成するまでの過程で、必要なシナプスと不要なシナプスにどのような性質の違いが生じ、その違いを誘導する仕組みとは何かを解明することは、精神・神経疾患の治療法開発に繋がることが期待できます。今回の研究成果は、2021年3月10日(日本時間)に米国科学雑誌Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(米国科学アカデミー紀要PNAS)のオンライン版に掲載されました。

Ⅱ 研究の内容
 シナプスには送り手と受け手が存在しますが、送り手であるシナプス前終末は非常に小さく、その大きさは髪の毛の太さ(50から100ミクロン)の数十分の一(数ミクロン)しかありません。脳の複雑な神経回路の中で、脳全体では数十兆から数百兆にもおよぶこれらの小さなシナプス前終末のどれが生き残り、どれが刈り込まれるのかを区別してその性質を調べることは従来の方法では困難であり、神経回路が完成する前段階で両者の性質がどう違うのかよく分かっていませんでした。東京女子医科大学生理学(神経生理学分野)講座の緑川光春(みどりかわ みつはる)講師と宮田麻理子(みやた まりこ)教授は、脳内の視床という領域において、生き残るシナプス前終末と刈り込まれるシナプス前終末を別々の蛍光タンパク質で標識し、数ミクロンのシナプス前終末から直接電気応答を計測するという極めて難易度の高い手法を駆使して、実際の選別と刈り込みに至るまでの両者の発達過程の違いを調べました。生後最初期では将来生き残るシナプス前終末と刈り込まれるシナプス前終末は共に未熟でその機能に差は見られませんでしたが、その後両者は大きく異なる発達過程を見せました。将来生き残るシナプス前終末では、まず第一段階として神経伝達物質をより多く、次いで第二段階としてより速く送れるように機能が発達していったのに対し、刈り込まれるシナプス前終末ではその機能は生後最初期の未熟な状態から変わりませんでした。
 
 発達初期には同様の性質を持ちながら、その後の運命が異なるのはなぜでしょうか?視床の神経回路は、発達過程において生き残るシナプスへの入力を制限すると本来刈り込まれるべきシナプスが生き残るようになることが先行研究によって報告されています。このことから、両者の間にはなんらかの競争が起きていて、いわゆるゼロサム関係(一方が得をするともう一方が損をする関係)にある可能性があります。そこで、生き残るシナプスへの入力を制限した場合に、シナプス前終末の発達過程がどのような影響を受けるのかを調べてみました。すると、生き残るシナプス前終末において神経伝達物質をより速く送れるようにする第二段階の発達が見られなくなりましたが、刈り込まれるシナプス前終末は相変わらず未熟なままでした。つまり、生き残るシナプス前終末と刈り込まれるシナプス前終末の間の関係はゼロサム関係ではなく、生き残るシナプス前終末への入力は両者の違いをより広げていく作用があることが分かりました。

 これまで、発達途上の脳において生き残るシナプスと刈り込まれるシナプスでは何が違い、何が両者の運命を決定づけているのかはほとんど分かっていませんでした。本研究は両者の発達過程の違いを明確に示すことに成功し、これらの違いをヒントとして将来的に両者を運命づけている仕組みの解明やその操作につながる研究です。



Ⅲ 今後の展開
 生後発達に伴う神経回路の成熟は、知能・感覚・運動機能が生後に著しく発達する我々ヒトにとって非常に重要です。しかし、神経回路の接続部であるシナプスの選別において、なにが決定的な要因となっているのかはよく分かっていません。本研究の発見は、シナプスを運命づけている要因の解明に向けた大きな一歩となりうるものです。将来的にシナプス選別の仕組みを理解してこれを操作できるようになれば、脳の神経回路形成の異常に端を発する様々な精神疾患の治療に役立つことが期待されます。

 本研究は、日本学術振興会、文部科学省研究費補助金 JSPS KAKENHI(16H01344, 17K19466, 17H03548, 17H05752, 19H03343)、学術変革領域(A)「臨界期生物学」(20H05916)の支援を受けて行われました。

「用語解説」
1.シナプス:
神経細胞間の情報伝達が行われる接合部です。送り手にあたるシナプス前終末には神経伝達物質を蓄えているシナプス小胞が集積しており、神経細胞が興奮するとシナプス小胞が細胞膜に融合して神経伝達物質が細胞外へと放出されます。この現象を開口放出といいます。細胞外に放出された神経伝達物質が、受け手であるシナプス後細胞に作用することで情報が伝わります。

【プレス情報】
1.掲載誌名 PNAS (Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)
2.論文タイトル Distinct functional developments between surviving and eliminated presynaptic terminals DOI: 10.1073/pnas.2022423118.
3. 著者名 緑川光春、宮田麻理子
4. 論文のオンライン掲載日 2021年3月10日


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