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2020年07月07日ユニークな授業で医療安全知識を高める
東京女子医科大学では、医療安全をテーマとしたユニークな授業を展開することによって
学生たちの医療安全に対する意識の向上を図り、医療安全文化を醸成している。


■ 危険予知トレーニングで“指差し唱和”にチャレンジ
 「無事故でいこう ヨシ!」
 恥ずかしそうに小さな声で指差し唱和しながら、その授業は始まった。医学部4年生を対象に6人ずつの小グループに分けて行われる「KYT(危険予知トレーニング)実習」がそれだ。KYTは、作業に潜む危険を予知する能力を高め、危険に対する感受性を鋭くするための活動で、4ラウンド法と呼ばれる次の流れで訓練が行われる。
①現状把握(どんな危険があるか)
②本質追究(これが危険のポイントだ)
③対策樹立(あなたならどうする)
④目標設定(私たちはこうする)
 そして、設定した目標をもとに指差し呼称項目を決め、それを皆で唱和する。授業を担当している医療安全科の寺崎仁教授は、「医療現場の多職種のスタッフでKYTを行うと、職種によって危険の見え方が違ったり、事故防止に対する別の視点からのアプローチが示されたりして、質の高いチーム医療研修になることが分かっています。そうしたチーム医療や医療安全への意識を、学生時代から身につけてもらうようKYT実習を行っています。こうした試みは女子医大だけだと思います」と、KYTの有用性とその授業を導入した狙いについて語る。
 ではKYT実習の様子を見てみよう。まずグループごとにイラストが配付され、その中にどんな危険が潜んでいるかを指摘し合う現状把握からスタート。脚立を使って窓ふきをしているイラストを配られたグループでは、「脚立は不安定なのでケガのおそれがある」、「ヘルメットをかぶっていないので倒れた際にケガをする」、「バケツの位置が脚立に近いのでつまずく」、「無理な姿勢をしているので腰痛を招く」などの危険が指摘された。
 これらのうち、「脚立は不安定なのでケガのおそれがある」と「バケツの位置が脚立に近いのでつまずく」の2項目を重要な危険ポイント(本質追究)とし、これを全員で唱和。次に、その対策について話し合い(対策樹立)、さらにチームとしての目標設定をして指差し呼称項目を決め、それを全員で3回唱和した。
 こうしたグループワークを繰り返していくうちに、指差し唱和の声がだんだんと大きくなっていくのが興味深い。「頭で分かっていてもそれを口に出していわないとミスにつながりかねないということを、指差し唱和によって学びました」、「危険ポイントをみんなで共有し、恥ずかしがらずに指差し唱和を行うことの大切さがよく理解できました」といった学生たちの声からも、指差し唱和への抵抗感が薄れていったことがうかがえる。
 寺崎教授は、「医師はいろいろな場面でリーダーシップをとらなければなりません。KYTによって自分では気づかなかった危険が見えてきたり、違った視点から対策を考えたりするなどいろいろな“気づき”があったと思いますが、チーム医療ではそういったことをスタッフから指摘してもらえるようになることがとても重要です。それがリーダーシップの発揮につながるということを頭に入れておいてください」と、学生たちにアドバイスして授業を締めくくった。

■ 医学部と看護学部の学生が合同で「チーム医療の基礎」を学ぶ
 医学部と看護学部の4年生を対象に行われる「チーム医療の基礎」と「チームSTEPPS」という演習も、医療安全へ
の意識向上をテーマとした女子医大ならではの授業である。
 「チーム医療の基礎」は、医学部・看護学部の学生が6~7人の混成グループに分かれ、与えられた課題について討論し発表するというグループワーク形式で行われる。それぞれのグループには、看護師をはじめ薬剤師、臨床検査技師などさまざまな職種の人たちが1人ずつ講師として加わり、アドバイスを行う。実際に課題として提供されたのは、糖尿病罹患歴約10年の55歳男性ビジネスマンの症例で、次のような内容だった。
飲酒について外来の医師は「少しぐらいならいいでしょう」といい、管理栄養士は「一切やめましょう」という。薬もたくさんあってどれが何だか分からない。間食をやめられず外食の機会も多くなり、血糖値は右肩上がり。このため教育入院となった。病棟の医師からは間食をやめるよう指示されたが、糖尿病認定看護師からは「間食の頻度や内容、摂取時間を変えるなど自分に合った方法を考えましょう」とアドバイスされた。
それでも血糖値が不安定なため、膵臓のCT検査、肝臓の超音波検査、心電図検査も受け、ついにインスリン療法を行うことになった。主治医からは「一時的な対処」と説明されたが、不安になって糖尿病療養指導士に「ずっとインスリンを打ち続けなければなりませんよね」と聞くと、「そうですね」とのこと。数か月後、主治医から「そろそろ飲み薬に戻しましょう」といわれるまで、ショックと不安を抱きながらインスリンを打ち続けていた。

 この症例をもとに、各グループが問題点とチーム医療を円滑に進めるためのポイントを中心に討論を行った。
 問題点としては、「あまりにも情報が多すぎて患者さんが混乱している」、「基本的に患者さんとの信頼関係が築けていない」、「医師や職種によって治療方針が異なるため患者さんが何を選択したらよいか分からない」、「検査やインスリン療法についての説明が不足していて患者さんの理解が得られていない」、「情報共有できていないのは連携の意識が薄いから」といったことなどが指摘された。
 そして、チーム医療を円滑に進めるためには、「医療従事者同士がホウレンソウ(報告・連絡・相談)を怠らず記録を残すことが大事」、「各職種がどんなことをしているか確認し合い、発言できる雰囲気をつくる」、「カンファレンスで患者さんに何を伝えるかを明確にする」、「患者さんへの治療方針や処方した内容を電子カルテに書き込むことによって情報を共有する」などの意見が出された。
 また、ある講師は「医学部生と看護学部生が交互に座って積極的にコミュニケーションをとろうとしていたのが印象的でした」と語った。このことからも分かるように、学生たちはチーム医療の大切さを十分理解したといえよう。

■「チームSTEPPS」で医療安全の本質を徹底周知
 一方、「チームSTEPPS」も医学部・看護学部の合同授業として2016年度から導入された。チームSTEPPSとは、医療の質と安全を向上させるためのチームワークシステムのこと。女子医大では医療安全を推進するツールとしてその研修に力を入れており、すでに学内の全医療施設で2,500人超が受講している。
 このチームSTEPPSを学生にも受講させているわけだが、その狙いと意義について医療安全・危機管理部の加藤多津子部長(医療・病院管理学教室准教授(現:特任教授))は次のように語る。「医学部4年生は翌年から臨床実習に、看護学部4年生は臨床現場に入るわけですが、ともに医療安全という意識を持って臨まなければなりません。そこで、チームSTEPPSを授業に取り入れることにしました。医学部・看護学部合同の授業としたのは、“チーム医療なくして医療安全なし”との考えを学生たちにも徹底するためです」
 加藤准教授による授業は、講義のほかビデオやグループ討論などを交えながらテンポよく進む。冒頭の講義では、「医療事故の原因は確認不足や判断ミス、スタッフの連携不足などヒューマンエラーによるものが多い」と指摘、コミュニケーションやリーダーシップなどノンテクニカルスキルの重要性を訴えた。


 ユニークだったのは、そのあとに行われた指相撲である。隣り合わせた学生同士が30秒間、指相撲に興じたわけだが、これはメンタルモデルを意識させる狙いがある。メンタルモデルとは、「事実とそれらを取り巻く環境との関連性からつくられる心理的な状況認識」のことで、ほとんどの学生が「指相撲は戦いである」というメンタルモデルから、勝ったり負けたりを繰り返し、勝ち数は4~5回が最も多かった。
 そうした中、「勝てばよいので協力し合ってやろう」というメンタルモデルを共有し、お互いに何十回も勝ったという学生ペアも見られた。つまり、お互いのメンタルモデルが違うとパフォーマンスもかなり違ってくるということだ。チーム医療では、いかにチーム全員がメンタルモデルを共通化するかが大事だという。
 チームSTEPPSについての説明のあとは、実際の医療現場におけるスタッフのやり取りを収めた2本のビデオが紹介された。1本は、研修医がドクターに「患者さんが心配です」と訴えたものの、聞く耳を持たなかったためそれ以上いうことができなかったという場面。もう1本は、患者さんの情報をスタッフみんなで共有してドクターに2度確認を促し、「指摘してくれてありがとう」とドクターが笑顔を見せているシーンである。
 この2本のビデオを見た学生たちが、グループ討論を行ってその結果を発表した。「1本目はドクターが威張っていて研修医が食い下がれなかったが、2本目はみんなで意見をまとめ、説得力を持って2度ドクターに訴えていた」、「1度伝えたことが無視されても、勇気を持ってもう1度伝えることが大切」といった意見が聞かれた。これらの指摘は“2回チャレンジルール”といわれるもので、チームSTEPPSにおいて最も重要なポイントの1つとなっている。
 加藤准教授は最後に、「患者さんの安全はチーム医療でなければ保たれないという時代に入っています。ここで学んだチームSTEPPSというスキルを、ぜひチーム医療に生かしてほしいと思います」と、学生たちにメッセージを送った。
 
「Sincere(シンシア)」10号(2018年7月発行)